180807。今、たった今まさに摩訶不思議なことが起きた。携帯が手から滑り落ちる。これは現実かな。現実だとしたら、これからの私はこれからどうなるのだろう。お腹の下に鉛にような重りがあって言葉が出ない。ちらとも想像をしていなかったといえば嘘になる。けどそれでも冷や汗が一粒、ふた粒こぼれ落ちた。これは安心すべきか喜ぶべきか、憂うべきか心配すべきか分からない。(180807)

 

 

 

180723。ない頭を使っていっぱしに悩みましたが、結局1ヶ月前の構想に戻ってきました。久々に色ぬりができて楽しい。画力がどうの配色が変だの気になる所は山程あるし、それ以前に自分の絵柄に嫌悪を抱くことも多いのですが、純粋に想像して描くのが楽しいと言える自分でありたいものです。(180725)

 

 

 

180709。日常が非日常にすり替わる瞬間は春の訪れの如く、ふとした一瞬にやってくるようで。

地平線まで緑輝く田畑に底の浅い用水路。いつも同じ時間にあぜ道を犬と散歩する顔見知りのおじちゃん。子供が消えた街道を緩やかに飛び越えていく白鷺の群れ。私の地元は都会の喧騒とはあまりにもかけ離れた田舎町です。観光業も栄えていない上に商業・教育施設もほとんど無く、高校生や大学生などの若い方々が訪れる場所ではありません。小中学校の統廃合も少しずつ話が進んでおり(私の母校の小学校は建設当時から将来的に老人ホームになることが決定していました)、町からゆっくり、ゆっくりと子供がいなくなってきました。私は都会に出向く機会も少なくなり、話し相手は徐々に同世代から高年齢のおじちゃんおばちゃん方にシフト。これといった事件も刺激も無くそれなりに穏やかで緩い日々が流れています。

 

ただそんな平凡な日は案外予告なく、それとなく崩されるものです。横断歩道を挟んで向かいにいた、同い年のような女性の方に妙な既視感を覚えたつい先日の夕暮れ時。その時は首を傾げるぐらいだったものの、数日後に偶然にも同じ場所で再会した時は思わず自転車を留めて思い切り相手を凝視してしまいました。そもそも同年代の子を見かけること自体少ないため気にかかったという面もありましたが、なんと彼女は近年稀に見る完成度の高いドッペル(だと思います。多分。きっと)でした。正確には私のドッペルではなく、私の友人のドッペル。本物の友人はここより北部で活動しているためこんな場所にいるはずもないのですが、顔を合わせた2回とも友人と区別がつきませんでした。お互い進行方向が逆で、向こうは私に気づくそぶりはなく足早に去ってしまったたため「こっち来てたの?」と後で連絡すればいいかと悠長にしていたのですが、現在諸事情あって未だ友人と連絡は取れないまま。徐々にあの時の彼女が本当の友人かドッペルだか分からなくなってきました。次にまたあの交差点で会った時、私は親しい友人か誰かを前に「やっほう」とも「こんにちは」とも言えず「どっちだ?」という何とも気味の悪い惑いを感じることになるのでしょうか。確率は地を這うように低いとはいえ、あれがそもそも友人なら問題なし。そうでないならあれは誰で一体どんな方なのか。知りたいような、二度と会いたくないような、友達になりたいような。

都心のビル街の隙間や夜の下町もなかなか雰囲気がありますが、カエルや虫の鳴き声がわんと響く青紫色の夕暮れ時や自分以外に歩行者のいない点滅式信号の交差点など、田舎町は常にどこか危うく飲まれそうな一瞬に満ちているように感じます。夕暮れ時をかつては逢魔が時とも呼称しましたが、なるほど奇妙な出会いをしたものです。(180712)

 

 

 

180629。約1週間前に偶然生まれた創作話の想像を今も地道に続けている。最寄り駅到着の車内放送が流れてからホームに足を踏み出すまでの数十秒、布団に入って眠りにつくまでの数分といった日常のほんの一瞬に「こんな話はどうだろう」「設定を変えてみようか」と妄想する癖がついた。この瞬間が意外にも楽しいんですよ、意外にも。この快感を得たいがために創作を続けているとも思えるくらい。え?目的と手段を履き違えてやいないかって?いやほんと返す言葉もない。

平日はとにもかくにも慌ただしくて絵やら文字やらを描いている暇はない。だから紙の上ではほんの少しも進んじゃいないけど、頭の中ではゆるりゆっくりと物語が動き出している。ひゅう、二次創作厳禁の部誌に「提出できる物がない」と堂々と白状する程一次創作が苦手な奴が凄いじゃないか。幾度となく創作を妄想で断念してきた恥ずかしい過去も手伝って、今回は小説でも漫画でも落書きでもどんな形でもいいから紙の上におこそうと少し気負っているのかもしれないね。

結局この創作は絵になるのか文字になるのか、ゴミになるのか塵になるのか泡に消えるか海の藻屑になるのか。何故かお先真っ暗な行き先しか思い浮かばないという今世紀最大の謎(ネクストコナンズヒーンツ!:現 実 逃 避)を抱えつつ、適度に手をつけていこうと思います。(180630)

 

 

 

180622。幼い頃に大好きだったとある本をほぼ10年ぶりに読み返した。もう記憶も曖昧だからか新鮮な面白さがある。本についてはまた後日何かしら描くと思うのでその時に。さてホグミスとその本を読んだ影響か、もう寝ようと布団に入った途端に人だか何かが頭の中で存在を主張し始めた。うわ、もしかしてこれ、噂に聞く「一次創作」の始まりの瞬間なんじゃないか。わーお、この感じは久しぶりだ。写す紙もなく彼か彼女かも分からないそいつをひたすら見極めようとするも、厄介なことにそいつは一瞬で性別も髪の色も性格も変わってしまう。お前はチョークバスか。できたてのキャラクターってこんなにあやふやなもんだっけ。手に余るなあ。こいつをどうしろと…。

 

階下から椅子を引く音がしたのち、それまでかすかに聞こえていた洋楽が途絶えた。弟も寝たんだろう。町全体が寝静まり、小道を挟んだ近くの大通りを走るトラックの低い唸り声が一層響きだした頃、そいつはやっと豆電球で顔を照らしてくれた。おっ、ちょっと見えるぞ。でも何で豆電球なんだよまだ全然見えないじゃんよーと文句を垂れていると顔の鼻頭めがけてLEDをぶん投げられる(物は投げない!)。何も言っちゃくれないけど、ぼやけた背景とそいつが置かれている状況は少しだけ見えた。でも少し見えたからってどうすりゃいいんだよ。創作なんてここのところほとんど手をつけていないんだ。想像力なんて代物は胎内の忘れ物センターに預けられたままだし、文字だか絵だかに具現化する時間もそうそうない。何より人一人ポンと置かれただけで動き出す程創作は甘くない。でも久々の衝動の波に乗るのも一興だろうか。この際だから持て余し気味な謎の人物から何か膨らめないか考えよう。とっくに枯れた想像力の泉を掘ってみようぜ。もしかしたらアリのプールぐらいは湧き出すかもしれないからさ。(180623)

 

 

 

20180609

 

 

180525。うららかな春を目前とした3月の終わり頃、陽気な気候に浮かれていればいいものを、私はノートにポツリこんな文章を残していた。「凄い。何も描けない。びっくりする程何も描けない。時間が解決してくれ。頼むよ。本当に何も描けないんだよ。落書きさえダメなんだ。何も思い浮かばないんだよ。どうしたらいいんだよ」。そしてそれから1ヶ月。既に桜も散ってかすかに夏の兆しさえ感じられるような溌剌とした日々の中、まだ雪解けさえ感じられない言葉がノートに散らかっていた。「何も描けないけど、それでもとペンを取ってみる。もうかつてのような色も線も何も生まれない。4年前に戻ったみたいだ。指先が冷たくて動かない。描けない間にも私は時の中を進む。全て指を通して経験を形にしたいのに。動かないんだ」。

 

精神状態がそのまま落書きに反映される私は、抱える問題が山積みになり、一定のキャパを超えると驚くほど何も描けなくなるらしい。元々どれほど大きな問題に直面しても「そういう時もあるよねえ」と笑って対処する図太い性格だったけど、こうした不測の事態に何度かぶつかってから自分の性格に対する認識を改めることにした。ストレスに限った話じゃないけど、私はどうも自分の体や感情に対してドが3つ続く程鈍感。明らかに好意を寄せている男の子を華麗にスルーするために着々と冊数がたまる少女漫画の主人公並みに鈍感。こりゃ3つじゃ足りないな。ドドドドッド鈍感だ。5つ星ならぬ5つドレベルか。うーん、嬉しくない。それはともかく、私は自分が疲れているのか不満なのか、楽しいのか怖いのかも自分で判断できないポンコツなんだ。疲弊に気がつかないからいくら課題を背負っても気軽でいられる反面、突然体調を崩したり声が出なくなったりする。気がつかないんだから対策のしようがない。わあ、これが世に言う「詰んでる」ってやつか。「つんでれ」だったらまだ夢があるのにな。詰んでるつんでれ……やめよう、なんか今世界の闇が見えた気がする。

 

それでも私は1つ仮定を打ち立てた。それが前述した「一定のキャパを超えると驚くほど何も描けなくなる→何も描けない時は精神的に限界を迎えている」というもの。体や心が限界を迎えると絵を描くだけの余裕すら無くなるのでは……とぼんやり考えたのが昨年の秋。それから半年が経ったものの、なんと今のところ覆す事例がない。おおよそ絵が描けなくなった直後から数ヶ月の間で高熱やひどい関節炎に見舞われている。症状が出た昨年7月・12月・今年5月のいずれも少し前に大きな課題を抱え、絵が描けなくなっているんだ。それなら今の段階では「絵を描けないのは危険信号が出ている時だ」と判断してもいいんじゃないかな。数年前まで絵はそう近い存在ではなかったからか、それとも体が限界を迎えること自体がなかったからか、この歳になるまで気がつかなかったよ。

 

これは病み上がりに描いたもの。隅の走り書きには「青線いいな。描きやすい」としか残っていなかった。心なしか普段より線が無造作。修正する気も色を塗る気力も無かったらしい。お世辞にも上手くなったとは言えないけど、これを描いてから約1ヶ月経った現在、少なくとも「戻ってきた」感じはする。でも今後の予定を見ろよ。どうせまた限界を迎えるぞ。その時は絵なんか描いてないでさっさと寝るんだぞ。いいか。私との約束だからな。守れよ数ヶ月後の私。(180623)

 

 

 

180502。分かる人には分かってしまうんだろうな。私は心惹かれたものに対して割と正直。それがどんなものであろうと、反秩序的なものだろうと、好きになれば手は動く。理解されたその瞬間に私という人間はばれるんだろう。残念なことに私はいつまでも綺麗ではいられなかったのさ。これが成長だと信じたいよね。内容がどうだこうだと議論する前に、気がついたら描いてしまっていたなんて不思議な体験がある方はきっと私以外にもいると信じている。(180502)

 

 

 

180124〜0225。2016年4月から2年間ずっと出し続けていた個人誌を、訳あって2月初旬にNo.50というキリのいいところで一度けりを付けた。A4用紙1枚を半分に折ってエッセイのような落書きを1つ2つ載せるところから始まった2年前の春。翌年には4コマや数ページの漫画も見えるようになった。最後の半年は研究に追われて落書きもできず、文字書き並みに好きな作品について文章を綴ったから、総まとめとして再編集した本は無茶苦茶分厚くなってしまった。いやーよく書いたもんだよ。お陰で製本は大変だった。「ああー、ページ配分ミスった…」なんて一人苦笑いした夜7時。

 

部員とあまり会うこともできなかったから、少しでも交流するきっかけになればと始めたのが個人誌だけど、結局誰が見ていたのだろう。先輩に、後輩に、誰かに少しでも私の思いを届けることはできたのだろうか。総まとめ編を作り上げてもう半年、ふと当時の個人誌を振り返ってみた。配置もフォントも読み手への配慮は皆無で編集は無様、言葉足らずで文法の崩壊した日記は難解な暗号のよう。時間に追われていたとはいえ、この稚拙な出来には胃をぎゅうと握られるかのような猛烈な恥ずかしさを感じてしまう。うわああ何だこのド下手な燃えるゴミは!こんな汚物を生み出した作者は誰だ!……私だ!!(勢いよく崩れ落ちるーー!)

ただ後悔は一切ない。どんなに出来が酷くても、試行錯誤して作り上げた作品には違いない。ただただ自分が納得するまでひたすら真剣に構想を練った過去を簡単に笑い捨てる程プライドが無い訳でもないし、そんな自分を笑う人もいなかった。幸いなことに、私は本当に人に恵まれてもいたんだ。製作者としては反省すべき点が山のようにあるけれど、そうして支えてくれた方の気持ちを踏みにじってまで自分の作品を不必要に貶めるつもりは毛頭ない。きっと私が丹精込めて作ったとしても反応をくれる部員の皆がいなかったら、こんな充足した気持ちは生まれなかったろう。もちろん製作者としては色々、色々と思うところがあるんですけれども。うう。

 

2ヶ月の休止期間を挟んだ今年の春に、再び個人誌の製作を始めていた。ここ数ヶ月は編集する時間も取れず発行出来ずにいたものの、今日から少し精神的に余裕も出てきそうなので、また落ち着いて作り始めようと思い立つ。今しか描けないものを描こう。自分がどんな日々を過ごし、何に心を動かされ、どう感じたのかを可能な限り残していこう。人に見せる機会もなくなった今、作り続ける目的はもはや自分自身のためとなった。恥だらけの毎日を、それでも誇れる人生の一欠片として、紙に刻もうと思う。

 

追記:2年かけて作った個人誌の総まとめ編5冊は地球上に2つしかありません。一つは私の手元に、もう一つはお世話になった部室に置きました。今も部室にちゃんとあるのかな。誰かゴミ箱に入れてしまったかな。出来の酷さに驚いた衝動で誰かが破いてしまったかも。さあ、どうなっているかは分からない。あれはもう部室の部品だ。学校に入れる最後の日の夜、そこに置き去った私の気持ちを想像なんてしてくれなくても構わない。気になるのはいつだって一つだ。皆、元気に創作しているかい。(180807)

 

 

 

180224。前回出した絵からそう時間も経たない内に連続して描いたもの。これは前回の絵と比べて割と簡素で単純だから描くのはそう苦労しない。どうにかして人と背景を融合させたいと思ってなけなしにちょいちょい工夫したけれど、遠近法や元々の線画が至らず大した成果も出ないものになってしまった。これ、人を少し変えればまた違った絵になるだろうな。いつか描き直してみようか。後悔が残るならやり直せばいいじゃないか。この落書きがあったこと自体を忘れる前にリメイクしよう。(180728)

 

 

 

180220。人を描いてから背景に入るためか最初から背景を考えていないためか、背景と人が明確に分離しているように見えるのが気持ち悪い。具体的なイメージが湧かないから絵に表すこともできない。ただこの時どう描いてどう着色したのかは全く覚えていない。再現しろと言われたら無理と言える自信がある。これ本当に何色を何のレイヤーでどれほど重ねたんだろう。自分でもよく作業工程が分からないこの絵とは、自分で作ったにも関わらず微妙な距離がある。こう、自分の子供として確かに自分が育てたのに子供は理解不能な近寄りがたい子になってしまったような感じ。何じゃそりゃ。(180728)

 

 

 

171210。2017年の年末もいい頃に描いていた創作の落書きを半年も経った今頃まとめ出す私の計画性の無さと言ったらもう……酷すぎて言葉が見つからないよ。さては〆切りに追われて休日に美術室で一人版木を彫っていた頃から成長してないなお前。特に彫刻でさびカラーを塗る時なんて窓全開だから冬場に凍えながら筆を動かしていたなあ。「明後日が搬出…今日の19時が完全下校…フハハハハいける…いけるぞ…!」と魔王並みに悪どい顔(寝不足)で呟く高校生は危なすぎる。

 

今でもよく覚えている。授業もあれよあれよと終わりを迎え、とうとう冬季休暇に突入していた28日にようやく論文を書き終えた。朝から晩まで食事もとらずひたすらに地下書庫に篭り、黒茶色に煤けて端が散り散りになったページをめくってはカビ臭い独特の匂いに囲まれた日々。気付けのために延々とTaLの"À L'infini"と"Danse"を聞いていたのが悪かったのか、あれからこの歌を聴く度に執筆で死にかけていた時を思い出してしまい心地よく歌を楽しむことができなくなってしまった。純粋に歌を好きでいたかったな。もう苦行の歌にしか思えないよ。何たる弊害何たる誤算。

 

そして年末には不思議な交流もゆっくりと始まっていた。かねてから拝んでいたとある神絵師様の気でも狂ったか暇を持て余した気まぐれか、到底お話できないだろうと思っていた方と不思議な会話が進んでいたんだ。こんな機会は二度と無いだろうと思った私は、今ここに書いているような、文体の統一も尊敬語もへったくれもないお返事を投げつけていた(大迷惑もいいところ)。ところがこの神絵師様は心も尊大だったのか、こちらのノリに快く乗って下さったから大変。ずっと手を合わせるだけだった相手と何故かムスカの捕獲方法について話しているんだから訳が分からない。

 

除夜の鐘を叩きに行くのか外が騒がしくなってきた頃、年末で気が緩んでいたのか何とまた別の神様も迷い込んできた。ここには御眼鏡にかなうような代物は無いというのにまあ酔狂な方だ。私はどんな方であれ縁側で共にお茶を飲みたいと思う能天気な奴なので、束の間の関係でも心から受け入れた。きっとすぐに何も得るものは無いと気づいて去って行くだろう。それまで一緒に居られる日を楽しもうと本気で思っていたんだ。

 

それから半年、新しい生活に奔走してずっと留守にしていたTwitterを先日ちらと覗いてみた。きっとほとんどのフォロワーさんは姿を消しているだろう、また一人からの再出発も悪くないかとそれなりに覚悟していたというのに、かつての友人は変わらずそこにいた。そこにはあの不思議な話相手だった神様も、年末に迷い込んだ神様も……。惰性で繋がっている方が大半かもしれないけれど、唐突に姿を消して更新しない無価値な私と未だに繋がりをもち続ける彼らに敬服せずにはいられない。私は君らを侮っていたんだろうか。この小さな安堵と大きな罪悪感は何だろう。そこに戻ろうにも戻れない今の私を彼らは変わらず受け入れてくれるだろうか、なんて聞かなくても分かる問いに悩める幸せを噛み締めたい。(180616)

 

 

 

171115。昨年の11月に髪をバッサリ切った。今思えば人生で一番短くなった瞬間だ。短い髪が似合うかと言われたら曖昧に微笑むしかないけど、手入れから何から短髪は本当に楽だ。頭は軽いしマフラーには引っかからないしゴムでまとめる必要もないから今までの引っ張られる感覚とはおさらばだし、シャンプーも少なくて済む。最高じゃないか!短髪万歳!

 

私は中学を卒業するまで腰に届く程の長髪だった。小学2年生の時に一度ばっさり切った時のクラスの反応が髪を伸ばし始めたきっかけ。教室に入った途端にクラス全員がしんと静かになって、皆が私を凝視したあの朝が忘れられない。その当時から静かに1人でいることが多かったから、突然大人数に注目されたのがまずかった。軽いトラウマになってそれ以降一度も髪を切れなくなったんだ。ただその反動か高校入学と同時に肩近くまで一気に切り、今や男子並み。人生何があるか本当に分からないもんだよ。へっへー、一度首に沿った短い髪の部分をなぞってみたかったんだよねえ。美容師のおっちゃんは「いいの?本当にいいの?!」って何度も確認してきたけど、いいんだよ、おっちゃん。いっそ全部刈ってもいいかもって真剣に思っていたぐらいなんだからさ。

 

短髪もそれなりの悩みはあるかもしれないけど、少なくとも私は一切ない。それより今は長髪の子に賞賛を送りたい。長髪はお手入れが大変なんだ。その面倒ごとに負けずに今日も女の子は可愛く着飾って皆の前に現れる。よく見るんだ。その子の可愛さは彼女の努力の塊だぜ。私はさっさと退場しよう。可愛さを保つのは想像以上に忍耐が求められるんだよ。いくら褒めたって足りないよ。(180224)

 

 

 

171104。こちらに上げるタイミングが掴めずはや3ヶ月。今描いているものとのギャップが凄い。短期間でどんどん絵は変わって行くんだ。今ではこんな描き方はしないしできない。よく頑張った。私の歴史に埋もれて消えていけ。

 

落書きも苦労も捨てた時間も過ぎれば何てことはないけど、確実に当時の自分を切り取り記録として残していく。どんなに目を瞑りたい惨状も全部確かに私で、技術の程度も本心も思想も可視化させてしまう絵はある意味残酷で容赦がない。知らしめられ、打ちのめされてからまた筆をとるかはその都度本人が選択することになる。絵描きは凄いなあ。成果に満足して自分を褒める者もいれば自己嫌悪に陥ってなんて下手くそなんだと頭を掻き毟る者もいるんだろう。気まぐれに描く者もいれば精魂詰めて描き散らす者もいる。でもどんな絵描きも皆再び筆をとってきたことは一緒だ。誰にも頼まれていないのに、ただただ描き続ける。今日も世界中で世界に1つだけの絵が生まれるんだ。やあ、絵描きは凄いぞ。もっと誇ろうぜ。 (180105)

 

 

 

171114。背景の練習の一環で、とある2人を中心に連続性のある絵を数枚描いていた。背景については元々obanなどのファンアートを描き出した時に「作品のワンシーンも再現したい」と思ったのをきっかけとして、昨年の9月頃に挑戦し始めた。油彩水彩を混合して作ってみたはいいものの、慣れないことはするもんじゃない、奥行きもない段ボールのようなツギハギだらけの背景になってしまう。そもそも色がよく分からないんだ。世の中はそれはそれは豊かな色で溢れているというのに、私が描けば世界は一瞬にして曖昧を許さないモノクロになる。同年3月のHP2周年記念で描いた漫画には「多色は無理だと悟りました」と半ば諦めている自分もいた。それほど私は色が苦手。キャラを描くだけでも息切れするのに、背景まで描くとなるといよいよ過呼吸からの病院行きだよ。倒れるのは現実だけで十分。比喩の中でぐらいか○はめ波を連打する屈強な奴でいたい。

ただまあ一度挑戦してみれば5・6回目を超える頃には背景への抵抗はある程度なくなる。奥行きとまではいかないものの、背景の基準が自分の中で上がるんだろう。何より無理やりにでも色を塗る習慣を身につけたのが功を成したのかこれ以降カラーの作品が増えた。これはいい。完全に予想外だったけど塗りへの抵抗も同時に消えていったんだ。ついに脱モノクロかい?フゥーおめでとう!今まで存在意義を訴えていた錐体細胞が喜んでるよ!

 

見たものをそのまま描くのは好きでも人を惹きつける構図や色のメリハリは未だに分からない。アングルだって何それ美味しいのレベルだ。あと下書きが無い(本書きしない)から線が汚い。全体のバランスなど考えなしに人を描きだすから完成もしない。ちょっと課題がありすぎもいいところだよねえ、全く。さてね、そんな3ヶ月前の私にいいことを教えてあげよう。実は2月も中旬を終える現在、まともな背景はほとんど描いてないんだ!何やってんだよ馬鹿って?ごめんね!

成長か退化か判断するのはいつだって未来の自分だ。今から数ヶ月後に私はここに何と描くだろう。未来から険しい顔で冷静に見つめてくる自分に今は盛大な笑顔を見せてやる。全力で遊び倒す私から目を反らすんじゃないよ。未来の私が嘆こうが後悔しようが、そんなのは知ったこっちゃない。今この時の衝動や感性を忘れずに全て絵に形に残すんだ。刀片手の真剣勝負の如く絵と付き合うのは性に合わない。一緒にタップダンスで踊り明かすぐらいが丁度いい。筋肉痛になるのはどうせ明日の自分なんだから、今は羽目を外そうぜ。(180218)

 

 

 

171104。クッションに埋もれたい。ぽんぽんしてモッフモッフしたい。でも家にクッションは1つもない。1個ぐらいあったっていいじゃんねえ。少し前に話題になった「人をダメにするクッション」あるじゃん。あれが欲しい。あれに座って「あああー」っておっさんみたいな声を出して伸びをしたい。柔らかさに飢えているんだ。いっそクッションの海に沈みたい。子供の頃にちょっとしたパークとかで、ビニールプールに小さいボールが大量に入ったボールプールで遊んだ記憶がある。あれだ、あれに入りたいっていうのと同じ気持ち。はーモフモフしてえ〜。(180202)

 

 

 

171104。作業中に聞いている音楽の雰囲気が絵に反映されがち。日本語の歌よりも西語・仏語の歌をよく聴きます。西語ならDavid Bisbal・La Oreja de Van Gogh・Amaralに始まり、TINIやCali Y El Dandeeが多いです。仏語ならTAL・Shy'm・Christophe Willemが最近のオススメです。ちなみに英語はともかく、西語・仏語の歌はカラオケにもまず入っていません。いや私も1回しか行ったことはないので詳細は分かりませんが(友人に強制連行された)。もし「どこそこのカラオケなら西語仏語もあるよ!」という情報をお持ちでしたらどなたか教えて頂けると幸いです。私が喜びます。

 

実は西語が好きすぎて少し前にスペイン留学もしました。そしたら現地では英語の歌ばかり流れてるっていうね。まあ日本でも英語の歌ばかりですし、どこの国もそんなもんでしょう。でも大学の掃除のおばちゃんがAlex Ubagoを大音量で流しながらトイレ掃除をしていたのは最高にロックでした。日本で調べて聴いていた歌を現地のおばちゃんがノリノリで聴いてるんですよ。ああハイタッチでもしときゃよかった。おばちゃん、私もその歌好きです!パチーン!

 

生まれも育ちも日本で日本語を話し日本で教育を受けてきたと言うのに、日本語の歌に触れる機会はそうありません。1年間に一度紅白を観る以外に歌番組に目を通すこともなければ雑誌も読みませんしカラオケも行かないテレビもつけない。街中では英語の歌ばかり。そりゃ耳にもしないわな。もちろん自分で調べないのが1番の原因でしょうが、そんな日々を送っていたらいつの間にやら脳内曲目リストの西語仏語と日本語の比率が3:1程になってしまいました。

ああでももっと西語を勉強したい。もっと西語圏の音楽を調べたい。素敵な歌がきっとまだまだ沢山あるんだ。伊語や葡語も勉強したい。歌を理解し、覚えた上で楽しみたいんだ。語学は絵に勝るとも劣らない最高の楽しみだ。(180209)

 

 

 

171103。もう2月だというのに、描いてから随分時間が経ってしまった。今と描き方が随分違うため掲載するか迷ったものの、今まで載せてきたんだからと深く考えもせずに投稿する。ツイッターもそうだけどタイムラグが酷い。描いた瞬間からゴミになるんだからさっさと投げるに限るのに。

貯めるのは癖なんだ。描ける時間の方が少ないから、いつの間にやら更新を止めないように間隔を調整して絵を放出するようになった。実際には割と描いているためにむしろ更新が滞っている。なんて意味がないんだろう。一番更新が早いのはtumblrなので、興味のある方はそちらをどうぞ。※2018年6月19日現在、最も更新が早いのは当HPとなってしまいました。どういうことだよ。

 

中でもgalleriaは特に更新が遅いサイトの一つ。それは一枚一枚にこうして長文を添えているから。tumblrの更新が早いのは何も書かずに投稿しているからなんだ。deviantartもそうだけど、日本語を理解できるユーザーが圧倒的に少ない所では書いても伝わる相手がいない(逆に言えばあまり人目を気にせずに呟ける場所)。ともかく、私はここのように日本人が多く日本語で書ける場所では可能な限り思ったことを残しておきたいと考えている。有意義な話より圧倒的に無駄話が多いかもしれないけど、少なくとも私にとってはその時々で意味のある言葉ではある。

ただ作文にはある程度の覚悟と時間が求められるため、それが好きなことだろうと簡単には取り組めない。いい加減に書きたくないからこそ自分に厳しくなりここから更に遠ざかる。投稿へのハードルを上げすぎたね。そんなに思い詰めなくたっていいよ。誰が見ている訳でもないのに。

 

でも面白いもので、こんな独りよがりの投稿にハートを送って下さる稀有な方が時々現れる。絵か文章か何を見て送っているかは分からないけど、少なくともその方々のために、私は今日も書こうと思う。投稿現場より、その背景についてのお話でした。(180207)

 

 

 

 

【まとめ】

 

 

 

 

【漫画】

2017/4/30

金縛り初体験漫画



2017/3/15

HP「路地裏便り」2周年記念漫画



2017/2/12

以前のtwitter騒ぎのオチ。

描ききる頃に不思議と気は収まってしまったので、twitterでは未公開。



2017/2/9

あるバレンタイン漫画



2017/2/7

日陰絵描きがtwitterでイラストに予想外に反応を頂いた結果、描き方に変化が起きたお話